神様がしてくださった、いちばん大きなこと
〜限りない愛に、限りない感謝を〜

日常生活

2025年もあと数時間🕰️
一年を振り返ると、嬉しいこともたくさんあったけど、
思い通りにいかなかったこと、
正直しんどかったこともあったかもしれません。

でも、1年まるっと、守り助けてくださった神様に、
最後は「感謝」して締めくくりたいと思います。
ハレルヤ〜🙌

ところで、
「感謝」については、牧師先生がたくさん御言葉を伝えてくださっているのですが、
ある時、とても本質的なお話をしてくださって、
「感謝って、こんなにも深いものだったんだ」
と気づかされたことを思い出したので、1年の終わりにシェアしたいと思います😊

◇◇◇◇◇

「感謝」と聞くと、私たちはつい、
お金を捧げること、贈り物をすることなど、
目に見えるものを考えがちです。

けれど、牧師先生は、
「神様が願う感謝は、私たちが考えるのとは違う」
と教えてくださいました。

神様は私たちを助け、様々な困難な問題を解決してくださった。
そもそも、問題が起こらないように、初めから解決してあげたけど、あなたたちは知らない。
起こる前から、事故や危険から免れるようにしてくださったことが本当にたくさんある。

数百回、数千回、といってもいいほど神様が助けてくださったけど、
それを私たちは知らないまま生きている。

それほどのことをしてくださっているのに、
それを、お金や物で計ろうとするなら、
この世のどんな財をもってしても、
その対価を支払える人はいない・・・

では、神様がしてくださったことの中で、
いちばん大きなこととは、何でしょう?

それは、
命を守ってくださったこと
死から助けてくださったこと、です。

実際に人の命をお金で買うことはできませんよね。
どんなに大金を積んだとしても、一度命が奪われたら取り戻すことはできないです。

「人間をただ生まれるようにして放っておいたら、地球には10年もならないうちに空っぽになったはず」と言うほど、神様は毎日炎のような目で人々をご覧になっています。

命が危うい瞬間には、
まず「生かす」ことを選ばれる神様です。
それは、生きていなければ、それで終わってしまうから。
その先のことは何もできないからです。

しかも神様は、
「私が助けた」と声高におっしゃることはないんです。

いつ、どこで、どんなふうに守ったのかを
わざわざ説明することもなく、
対価を求めることもありません。
(実際、神様にはお金も物質も必要ないです)

私たちが
「きっと、あの時も助けられていたのだと思います」
と気づいた時に、
神様はただ「そうだよ」と、
そっと頷かれます。

神様が命を守ってくださったことについて、
自分自身が気づかないといけないんですね。

そして、
神様が命を守ってくださったのは、
ただ生き延びさせるためではありません。

「生きて、これから永遠に共に生きたい。
私神様の愛の中で生きてほしい。」
そのような神様の人間に向かう愛があって、今日も私たちは生かされています。

だから、
神様に感謝し、愛し、敬い、喜び、
その愛の中で生きていくこと、
それが、神様が受け取りたいと願う、<生活の感謝>なのだ、とおっしゃいました。

神様の限りない愛に応えることができるのは、
私たちの限りない感謝の心なんですね。

お金で物質で感謝を表そうとすれば、
どうしても限りがあります。
多い少ないの差も出てしまいます。
また、実際にどれだけ捧げても、神様がしてくださったことには及びません。

けれど、心で感謝を表すなら・・・

心でする感謝には、限りがないです。
貧しい人でも、豊かな人でも、
誰でも同じように、いくらでも感謝できます。

限りなく愛することができ、
果てしなく、神様を思うことができる。

この御言葉を伝えてくださった牧師先生ご自身は、
幼い頃とても貧しくて、教会に行っても献金をすることすら難しい時があったそうです。

そのとき牧師先生が選ばれたのは、
自分自身を捧げること>でした。

捧げる物がなくても、
「この体ならあります。
 この人生なら捧げることができます。」

そう祈りながら、
神様のために生きると決心し、
自分の体を捧げて、生きてこられました。
死から生かしてくださった神様に、
今も変わらない心で、いつも生の感謝を捧げていらっしゃいます。

主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

                                  詩篇136篇1節

神様の無限の愛に、
形式的ではなく、心からの無限の感謝と愛を捧げていきたいです☺️

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