感謝の生活

日常生活

こんにちは!
かな~りご無沙汰してます(;’∀’)
時間が経つのは早いもので、今年も残すところあと6日となりましたね。

たくさんは投稿できなかったですが💦
今年は、ブログを始めることができ、
文章で表現するという新境地を開かせてくださり感謝します。

「今年最後、感謝で蓋をしなさい」とおっしゃったので、
今日は御言葉を教えてくださっている牧師先生の感謝にまつわるエピソードで、
印象に残っているお話をしたいと思います。

ある日、牧師先生が市場に行って、とっても安い値段で、たくさんぶどうを買うことができた!
と、喜んで帰ってこられたそうです。
いざ、その場にいた弟子たちと一緒にそのぶどうを食べようとしたのですが…

「す、酸っぱい( ゚Д゚)!!!」

先生が本当にウキウキした様子で買ってこられたので、
弟子たちはどのように反応したらいいのか分からず、無言になってしまったそう(・・;)

そんな弟子たちの様子を見ながら、牧師先生もパクっと一口…
そして、牧師先生の表情を見守る弟子たち…

やはり、 「酸っぱい( ゚Д゚)!!!」

でも、牧師先生は一言おっしゃいました。
「神様がくださったから感謝して食べよう」

そして弟子たちと、酸っぱい顔をしながらも、
神様に感謝しながら食べたそうです。

普通なら、
「あー、なんて運が悪いんだ!
あの店員、酸っぱいと分かってて安く売りやがったな。
あんな店、二度と行くもんかぁーーー(怒)」と、
ぶつぶつ不平不満を言ってると思います。

でも先生の考え方は違いました。
「すべてのものは神様のもの」
人がくれたものだけれど、根本は神様がくださったものだ、
という考え方なんですね。

「誰がくださったのか」
感謝すべき根本の存在を忘れてしまったら、
不平不満で終わってしまいます。

もし、自分が本当に愛する恋人がくれたものなら、
どんなものをもらったとしても嬉しく思うもの。
もの自体が大切というより、その中に込められた自分への真心と愛が嬉しい、
と感じるものですよね。

今年一年を振り返ってみても、
いいこと、悪いこと、
楽しかったこと、つらかったこと、
いろいろあったけど、
どんな時だとしても、どんな状況だとしても、
神様が私たちを愛して共にして助けてくださった、ということを分かってさしあげて、
感謝したいです。

でも、目の前の現実を見てしまうと、正直、感謝できないこともあります💦
だけど、「感謝の根本」を忘れない牧師先生の精神で、
感謝の生を生きていこうと思います!

テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

5:16いつも喜んでいなさい。 5:17絶えず祈りなさい。 5:18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。



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